太釈さんの法話なブログ
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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

<空海ツアー第2弾>十三仏で実在した人物は?

しばらく更新できていませんでしたが、焼山寺の十三仏<空海ツアー第2弾>の続きです。

ツアーで質問を頂戴したのでシェアいたします。
Q.「十三仏で実在した人物は?」

A.2人います。
1人は釈迦如来です。インドで悟りを開き、仏教を説き始めたお釈迦さまが亡くなった後、仏さまとしてまつられるようになったのが釈迦如来です。

2人目は阿弥陀如来(あみだにょらい)です。
お釈迦さまと同じようにインドの王子様として生を受けましたが、仏教を信仰して出家しました。そして48の願いごとを掲げ、「すべての願いがかなうまで私の修行は終わらない」と修行に励みました。結果として48すべての願いを成し遂げて阿弥陀如来となりました。

また、阿弥陀如来は西方の極楽浄土にいるとされます。阿弥陀如来 

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焼山寺十三仏 不動明王<空海ツアー第2弾>

空海ツアー第2弾ではお遍路さんの終着点である杖杉庵(じょうしんあん)を出て焼山寺へ向かいました。杖杉庵と同じ山に四国八十八カ所霊場 第12番札所である焼山寺はあります。

焼山寺の駐車場から境内までの道沿いにいくつかの石像があります。
意味を知らなければスルーしてしまうポイントですが、ここをガイドするのが私の役割です。

故人が死出の旅に出てから出会い、学んでいく仏さまは13人おられます。13人目が虚空蔵菩薩です。十三仏の1人目の仏さまから13人目の仏さまを参道に安置することにより、死後の世界を疑似体験して欲しいと御住職が考えたのでしょう。
焼山寺の御住職は、御本尊の虚空蔵菩薩に至る道として参道を見立てたのだと思います。

さて、1人目は不動明王です。
恐ろしげな顔をして剣と縄を持ち、背中に炎を背負っています。怖そうな仏さまですね。一見すると仏さまには見えないかもしれません。

故人が亡くなってすぐに駆け付けてくださる仏さまが不動明王です。
背中の炎で故人を守ってくださるといわれています。心優しい仏さまなのですね。


焼山寺十三仏 不動明王


十三仏について詳しく知りたい方は、中村太釈著『人を想うこころ』 日本文学館 をご覧ください。書店で手に入らない場合は觀音寺までメール kanonji@jiin.comまでご注文ください。
中村太釈著『人を想うこころ』 600円+消費税+送料にて
 

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お遍路の終着点<空海ツアー第2弾>

お遍路さんの姿をして空海に許しを請うた衛門三郎

極悪非道な衛門三郎(えもんさぶろう)という人が愛媛県に居たそうな。
人々を牛馬の如くこき使い、非情な仕打ちをすることで有名だった衛門三郎。お金には困ることがなかったそうな。

あるとき空海が托鉢に来たとき、野良犬を追い返すように追い払ってしまった。
7日続けて托鉢に来た空海のテッパチをたたき割ってしまってから、子どもたちが次々と亡くなってしまった。

空海へ詫びを入れようと四方八方探すが見つからない。
衛門三郎は妻と今生の別れを告げて旅に出たそうな。白装束に杉の杖、菅笠という出で立ちで空海を四国中探すが見つからない。

20数回四国を巡っても衛門三郎は空海に会うことができなかったそうな。
閏年に逆回りをすれば空海に会えるのではないかと思い立ち、四国を逆回りすれども焼山寺の中腹で命の火は絶えようとしていた。

意識薄れる中、衛門三郎を抱き起こす人がいたそうな。
「どこのどなたか存じませんが、私の願いを聞いてはくれまいか」
「分かった、そなたの願いを聞き届けよう」と言ったその声の主は、ずっと探していた空海その人であったそうな。

衛門三郎はやっと空海に会うことができ、詫びを入れることができた。
空海は衛門三郎の罪はすっかり消えていると言ったそうな。
息絶えた衛門三郎を懇ろに埋葬し、手に持っていた杉の杖を墓標にした。

墓標にした杉の杖は根付いて、今は大木の杉になっているそうな。

杖杉庵 

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仏足石<空海ツアー第2弾>

仏足石

2018年12月20日に「板東信吾プレゼンツ ハイブリッド坊主中村一善住職と行く空海ツアー 第2弾」を実施しました。
徳島県に残る空海所縁の場所を、空海好きの皆さんと中村のガイドで巡る旅です。

下記の写真はお釈迦さま足の裏です。
何やら変な模様があります。これは一体何でしょうか。

仏さまには32の特徴があるとされています。さらに詳しく80の特徴があるといわれています。
詳しくはこちらをご覧ください。

特に足の裏に円形の模様があるとされています。
お釈迦さまにも足裏に円形の模様があり、仏さまと同じであるという証明になりました。

お釈迦さまが80歳で亡くなるとき自分の教えに従って生きなさいと言い残しましたが、教えは文書化されていませんでした。なぜなら、人の顔がそれぞれ違うように人の悩みもそれぞれ違います。悩みを解決するための説法を書き残しても誰にでも当てはまるわけではないので、お釈迦さまが書き残すことを禁止したからです。

しかし、お釈迦さまが亡き後に弟子たちが口伝えで教えを残そうとしました。口伝えでは正確な教えが残らないことに懸念が高まり、文書化されることになったのです。

お釈迦さまの姿形を残すことも禁止しました。姿形は教えと何の関係もないというお釈迦さまの考えからでした。

このため、お釈迦様の足が仏さまの特徴を表している仏足石(下記の写真のようなもの)をお釈迦さまの象徴として残したのです。

仏足石 

觀音寺では寺院行事を行っています。詳しくはホームページをご覧ください。
http://houwa-kanonji.com/

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空海の学問所<空海ツアーガイド法話>

平成30年11月12日(月)に行われた「板東信吾プレゼンツ ハイブリッド坊主中村一善と行く空海ツアー」にて道中のガイド説法を書き記しておきます。

徳島県の空海所縁の場所を巡るツアーは童学寺へお参りしました。

空海が幼い頃に学問をした寺と伝わっています。

童学寺 山門前 童学寺の山門前にて


空海は学問が堪能で、幼い頃には神童(しんどう)と呼ばれて尊ばれていました。
童学寺ホームページによると空海は同寺にて「いろは歌」を作り子どもたちに広めたそうです。
五十音を並べ替えて仏教の教えを詩の中に読み込み、節をつけて歌にすることで知らず知らずのうちに仏教の教えが身についているというすぐれものです。

いろは歌

いろは にをえど〈色は匂えど〉 ・・・ 花の色は咲き乱れていい匂いがしているけれども
ちりぬるを〈散りぬるを〉 ・・・ いつの間にか散ってしまっている(諸行無常の教え)
わかよたれそ(我が世たれぞ) ・・・ 我がこの世で誰が
つねならむ(常ならむ) ・・・ いつもと同じように常と同じでいられようか(是生滅法の教え)
うゐのおくやま(有為の奥山) ・・・ どこまでも続く奥の山(今の生活がどこまでも続くことを山が連なっていることに例えている)
けふこえて(今日越えて) ・・・ 今日もひたすら越えていく(生滅滅已の教え)
あさきゆめみし(浅い夢を見たり) ・・・ うつらうつらとした夢を見たり
ゑひもせす(酔(ゑ)いもせず) ・・・ 酔いにふけったりしないようにしよう(寂滅為楽の教え)

童学寺には空海の生涯であった出来事を絵で紹介する絵伝(えでん)があります。
童学寺 空海絵伝1 童学寺 空海絵伝2

童学寺の御住職によると、絵伝は近隣の先代住職が描かれたものだそうです。
貴重な資料ですね。

私は一枚ずつ絵伝を紹介しました。
例えばこちら
童学寺 空海絵伝3 
絵の上部に仏さま(大日如来)が描かれ、周りの人たちがひれ伏している様子が描かれています。

空海が持ち帰った密教という教えは、生きているこの身このままで仏になれる(即身成仏)という教えです。しかし、従来の仏教は何度も生まれ変わりながら、良い行いを気が遠くなるほど長い時間積み重ねてやっと悟りを開くことができるという教えでした。ですから、「今すぐに仏になれる」と空海が主張しても誰も信用しなかったのです。

空海の教えは帝の耳にも入り、「本当に今すぐに仏になれるのなら、帝の前でやって見せろ!」ということになったのです。

空海も本意ではなかったのでしょうが、宮廷に参上し帝の前で手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏をイメージしました。すると空海の身体から金色の光が出たかと思うと、仏さまそのものになって見せたのです。空海が目の前で仏になってしまったことに驚き、周りの人たちはその場にひれ伏してしまったのです。

他にもたくさんの絵伝があります。
実際にご覧になってください。日時が合えば私が解説に参りますよ。

また続きを書いていきます。
ごきげんよう。

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