太釈さんの法話なブログ 薬剤師

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

緩和ケアにおける薬剤師に望まれること その5

人生の残り時間が少ないことを知ったとき、どのように過ごしたいですか?

私の書籍『一日一善』より「鮎が食べたいねえ」を紹介します。

九十才になる「はなさん」の例を紹介しましょう。
はなさんは膵臓がんと診断され、あと一ヶ月の命だと医師から告げられました。はなさんは入院はイヤだと断り自宅で過ごしました。はなさんは在宅医療でがんの痛みを取る鎮痛剤を使いながら過ごしました。はなさんは、ガンによる痛みのコントロールができると、体調の良い日には健康なときと同じように生活できました。はなさんは、孫やひ孫に囲まれて日増しに元気になっていきました。

体調の良いある日、はなさんは美容院に行って髪をふじ色に染めました。次に向かった先は写真館でした。はなさんは、「いつどうなるか分からないから」と遺影のために小首をかしげて写真に収まりました。

写真を撮って数日後、はなさんは「鮎が食べたいねぇ」と言って、夕食にお嫁さんに鮎の塩焼きをおいしそうに食べました。食後は大好きな歴史小説を読みながら、
「明日も朝が早いから、もう寝たら。」

と、はなさんが身の回りの世話をしているお嫁さんに声を掛けたのが、最後の言葉となりました。


はなさんは、夕食に鮎を食べた翌日、往診した医師の問いかけに応じることなく眠り続けました。

往診した医師ははなさんの孫たちを枕元に呼んで、

「おばあちゃんは天国へ行くの。耳は聞こえるからそばで大きな声で話しかけて」

と言いました。


孫たちは、大きな声で、「おばあちゃん、ありがとう」

はなさんへの「ありがとう」と「さよなら」が一つになった瞬間でした。はなさんは、「花のように死にたい」と言っていました。その言葉通りに、通夜の席で孫たちの声が響きました。


薬剤師倫理でも説かれている「より良く生きる」とは、医療の手立てがなくなった後も希望を持って生きていくことだと思うのです。


つづく





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薬剤師倫理のポイントとは?

薬剤師とお坊さんのハイブリッドである中村太釈が、薬剤師倫理について語りました。
Ustreamにて見ることができます。

http://www.ustream.tv/recorded/100013659

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緩和ケアにおいて薬剤師に望まれること その4

さて、話を戻して緩和医療について考えてみたいと思います。

私が読んだ本で、日野原重明 著『現代医療と宗教』1997/8岩波書店 があります。
著者の日野原重明氏は2017/2現在で108歳のはずです。100歳ごろまでは現役の医師として患者の治療に当たっておられました。

書籍の中で、日野原氏は医療についてこう述べています。
「医療は病を治すことで発展してきた。治療がすべてであり、患者の死は敗北であるとされた。このため、医療の手立てがなくなった患者に対する手当が何もなされないことがあった。
 しかし、私は治療(キュア)だけでなく治療の手立てがなくなった後も介護(ケア)が必要なのではないかと思う」

本が発刊された、今から20年前には緩和医療という考え方はありませんでした。にもかかわらず、日野原氏は緩和医療が必要であるという提案をしています。つまり、緩和医療という新しい医療分野がひらかれたと考えてよいと思います。

死は医療の敗北ではない。亡くなるまで精一杯生ききることこそが人間の尊厳であると日野原氏は提言しているのです。日野原氏は敬虔なクリスチャンだったので、死を見つめる医療について考えを持つことができたのでしょう。

つづく

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緩和ケアにおいて薬剤師に望まれること その3

~なぜ、私は薬剤師ではなく、僧侶として自立したいと願うようになったか~

薬友会研修会 講師登壇3 2017-1-28 



 薬局に就職したばかりの私はカッターシャツにネクタイを締め、白衣を着て薬剤師としての職能に励んでいました。私は、どこから見ても薬剤師です。しかし、私の本質は別のところにあったのです。
私がなぜそのように思うのかというと、薬剤師の姿をしていても「あなたお坊さんね」と言われることが何度となくあったからです。薬局の店頭に立つときは、どこからどう見ても薬剤師。私は寺の長男であるということはいっさい口にしていません。どこから見ても、私の出自がお客さまに分かるはずがないのです。しかし、現実には違いました。
はじめに私のことをお坊さんであると見抜いたのは、四十代の男性でした。勤務の後に立ち寄ってくださるのでしょう、決まって六時過ぎに一人で来店されました。購入されるのは、大人用の紙おむつです。三十枚入りを十日間隔で購入されました。大人用の紙おむつは、大きさも重さもあります。大人と子どもでは身体の大きさが違うので、子ども用のオムツに対して大人用は二倍ぐらいの大きさになります。お客さまである男性は家族を介護しておられることは明らかなので、ときに私がお客さまにねぎらいの言葉をかけることもありました。
あるとき、大人用紙おむつを買うそのお客さまがぱったりと来店されなくなりました。私はつい、いろいろなことを考えてしまいました。介護されているご家族の調子が悪くなったのではないか、あるいは介護をしているお客さまの男性が調子を崩したのではないか、何らかの事情があるのではないか。考えたところで私にはどうしようもないことなのですが、つい気になってしまいました。三週間ぐらいたったころ、その男性が来店されました。いつものように真っ直ぐ介護用品売り場に行かず、店内をウロウロしています。私と目が合うと、真っ直ぐ私のいるレジまでやってこられました。
「今日、お探しのものは何でしょうか」
と、たずねると、
「もう大人用の紙おむつは必要なくなりました。亡くなったので」
私は悪い予感があたってしまったことで気分が沈んでしまいましたが、
「寂しくなられましたね」
と、声をかけました。すると、男性は少し微笑んで、
「あなた、お坊さんでしょ?」
と、言います。私はびっくりしてしまいました。どこからどう見ても薬剤師なのに、どうして私の出自が分かったのでしょうか。さらに、その男性はかなり前から私がお坊さんであるということに気がついていたと言うのです。物腰や態度、言葉の選び方やしぐさで「ああ、お坊さんだ」と分かっていたというのです。私は、びっくりしてしまいました。それと同時に、私の本質は薬剤師ではなく、お坊さんなのだということに気づかされました。つまり、どんな姿をしていても、その人の本質は変わらないし、見抜かれてしまうものなのだと確信したのです。
つまり、私の本質は僧侶だったのです。

つづく

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緩和ケアにおいて薬剤師に望まれること その2

~なぜ私は薬剤師になったのか~

薬友会研修会 講師登壇2 2017-1-28 
真言宗寺院の長男に生まれた私は、物心つく前から「お寺の跡継ぎだ」と言われて育ちました。私がまだ赤ん坊で、祖母に抱かれている写真には「将来の跡継ぎ」とマジックで書かれているものがあります。この写真のように周りから見ると、私が何になりたいかという私の意志はまったく関係ないものでした。「お寺の子どもだから」と特別扱いをされていたのです。しかし、私にとって特別扱いは重荷でした。なぜ、普通の家に生まれてこなかったのかと悩んだことは幾度もありました。私は自立心が強かったのか、家を出ることばかりを考えていました。結果として、大学は宗門大学である高野山(こうやさん)大学へは進学せず、薬学部へ進学し、薬剤師を目指しました。私にとって大学のいいところは、研究ができることでした。大学に入学したときから、こっそりと研究室に入り込み、教授に「研究のお手伝いをさせてください」と直談判しました。私は、教授に熱意を認められて研究室に出入りを許されました。大学の研究室では土まみれの植物をより分けたり、乾燥させたりするような下働きばかりでしたが、私にとっては何よりうれしいことでした。なぜなら、「お寺の子ども」という特別なレッテルを貼(は)られることがなかったのですから。順調に学年が進み、大学卒業後に薬剤師国家試験に合格しました。これで私は手に職ができました。寺に頼らなくても生きていけます。ついに、自分の道を歩くことができるので、私は意気揚々でした。

しかし、私が思い描いたような薬剤師としての生活を送ることはできませんでした。薬剤師になった私は、大学で学んだ知識を使えば、どんな相談を受けても解決策が見つかると思っていました。薬局に来たお客さんが、私が勧めた商品を買うことで元気になってくれるに違いない。そうすることで、店にお客さんが行列をなし、にぎやかになり繁盛し、お客さんは次々と私のファンになると思っていました。

つづく

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