第二章 話上手の七つの効能
(効能七)認め会える関係ができる(仏の顔も三度まで)
ことわざに「仏の顔も三度まで」があります。どんなに温厚な人でも、何度も無礼なことをすれば怒り出すことのたとえです。あなたが同じ過ちを繰り返していると、相手が許してくれるのは三度までであるという意味で使われます。ことわざになったエピソードは、少し違う意味であったことをご存じでしょうか。
「仏の顔も三度まで」ということわざになったエピソードに、お釈迦さまが登場します。お釈迦さまはインドの北部にあったシャカ族の王子として産まれました。将来はシャカ国の国王として国を治める人物になるはずでした。シャカ族の国土は狭く、両隣に大国があり虎視眈々とシャカ国の領土を狙っていました。お釈迦さまは、難しい立場にある国の将来を託されるはずでした。
しかし、お釈迦さまは人には生きること、年老いていくこと、病を患うこと、死んでいくことの四つの苦しみがあると知り、密かに城を抜け出して出家してしまいました。シャカ国は王子がいなくなったため、弱体していく一方でした。
ついに隣接する大国のマガダ国が、兵を率いてシャカ族を滅ぼしシャカ国を我が物にしようとしました。マガダ国の兵がもう少しでシャカ国に到着しようとしたとき、道の途中でお釈迦さまが瞑想をしていました。
マガダ国はお釈迦さまが悟りを開き、各地で教えを説いて人々を救っていることを知っていました。お釈迦さまがシャカ国の王子であっても、決して殺してはいけないと厳命を受けていました。マガダ国の兵士たちはお釈迦さまの前を通ってシャカ国へ行くことをためらい、その日は引き返しました。
翌日、マガダ国の兵士たちは支度を調えてシャカ族を滅ぼすため、出発しました。しかし、また同じ場所でお釈迦さまは瞑想をしていました。仕方なく、マガダ国の兵士たちは引き返しました。
三日目、再びマガダ国の兵士はシャカ族を滅ぼすために出発しました。この日は、通り道にお釈迦さまの姿が見えませんでした。マガダ国の兵士たちはシャカ国に攻め入り、シャカ族を滅ぼしてしまいました。
つまり、「仏の顔も三度まで」ということわざは、争いに対する怒りと失望を表したものなのです。お釈迦さまがいたときはマガダ国はお釈迦さまの故郷であるシャカ国に攻め入ることはしませんでした。しかし、お釈迦さまがいなくなればマガダ国はシャカ国を攻め滅ぼしてしまいました。なぜ、そうなったのでしょうか。
お釈迦さまは話し上手でした。話をすることによって人々を救っていたのです。お笑い芸人は、人を笑わせることで心を癒やします。お坊さんは話で人を救うのです。
あなたが話すテクニックを身に付けることによって、相手の信頼を得ることができます。信頼関係があれば競争したり、争ったりせず、互いに認め合う関係を作ることができるのです。
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