太釈さんの法話なブログ 護摩祈祷

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

厄除け

毎月発行している「寺院だより」から記事を紹介します。
今回は「厄除け」です。


一月から三月は風のように過ぎていく気がします。二月は「逃げる」と言いますが、逃げられないように日々を大切にしようと思っています。
 二月三日の節分に「厄除け護摩祈祷」を行いました。一月二十八日の護摩祈祷を都合でお休みしたため、添え護摩もお焚き上げさせてもらいました。

厄除け護摩札

 私も厄年を越えました。厄は災いをもたらすのではないかと心配されますが、私はそのように捉えていません。厄年はちょうど体調の変わり目ですが、私は人生を一度立ち止まり、振り返り、見直す時期だと思っています。走り続ける人生では、途中で息切れしてしまいます。特に、変化の早い昨今では周りに振り回され、心が疲れ果ててしまいます。そうならないために、じっくりと自分と向き合う三年間(前厄・本厄・後厄)にしてほしいと思います。
 護摩祈祷の御本尊である不動明王は、恐ろしい顔をしていますが、時に涙を流しているように見えることがあります。不動明王は仏の心を起こさない人々を憂いているのです。

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机の足の下

机の足の下

   八千枚護摩札と一緒に添えられていた手紙

八千枚護摩札と一緒に添えられていた手紙の表書きです。「机の足の下」とご自身を表現されています。
そんなに謙遜しなくてもいいのに、と思いましたが、先方の心遣いに涙が出そうになりました。

平安時代に生きた高野山の空海と、比叡山の最澄。
最澄が空海より7歳年上です。最澄は知らぬものがいないほど有名な僧侶、一方で空海は名も無い僧侶でした。どちらも同じタイミングで中国へ渡り、再び日本の地を踏みます。その時、空海が持ち帰った教典や仏具、掛け軸は最澄が学んだ密教がほんの一部でしかないことを表していました。

そこで、最澄は自分の身分を投げ捨てて空海に手紙を書きます。最後のサインに「あなたの弟子 最澄」とあります。最澄からすれば、自分の方が年上で地位も名誉も高い。空海に謙遜する必要は何も無いわけです。しかし、僧侶として精一杯の礼を尽くしました。

私は、「机の足の下」というサインを見て、ありがたさに頭を下げました。
「私のようなものに、ここまでしてくださるとは」

確かに、私よりいくつか年下であったと思いますが、布教師としては先輩です。私の方が礼を尽くさねばなりません。慈悲の心に触れ、今日も精進していきたいと思います。

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八千枚護摩

八千枚護摩札


   ご縁のあるお寺の御住職から頂戴した八千枚護摩札


当寺では、月に1回檀信徒向けに護摩祈祷を行っています。
添え護摩札に願い事を書いてもらい、作法に従って護摩を焚き添え護摩札を燃やします。私は、護摩壇の前に座り、「檀信徒の願いが叶いますように」と祈ります。

真言宗では、この護摩祈祷を21日間、1日3回祈り続ける荒行があります。食事も制限し、毎日水を浴びて体を清めてから護摩行を行います。21日間続けるので、体力・精神力が必要です。最後の座は、白装束(死に装束)を身につけて護摩壇の前に座ります。まさに護摩を焚きながら死んでもいいという覚悟の表れです。

ご縁あって、長崎県の布教師に法話に来てもらいました。鳴門結衆12ヵ寺を順に回っていきます。8月16日~20日までという夏の最盛期なので、体力的にも厳しいものです。その後、私の「寺院だより」を毎月送っています。目を通してくださっているようで、年賀状にお褒めの言葉を頂戴しました。

ある日、こちらの御住職から八千枚護摩札を頂戴しました。
お願いしてももらうことの難しい護摩札です。有り難いやら、感動するやらで、恐縮しました。同じ布教師としてうれしいです。

寺宝にいたします。

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空海が持ち帰った明王

不動明王の姿


毎月28日は不動明王の縁日です。この縁日にあわせて不動護摩祈祷を行っています。
先月の28日も行いました。たくさんのお参りを頂きありがとうございました。

写真は当寺におまつりされている不動明王です。明治時代に奉納されたようです。
まだ50年ほどしか経っていません。仏像は古いほどに価値があるので、あと
100年ぐらいすると少し値打ちが出るでしょうか。それ以上に手を合わせる人が
どれぐらいいるかが、仏像の価値を決めるように思います。

さて、不動明王は仏さまには珍しく恐ろしい顔をしています。
この仏像を初めて日本に持ち帰ったのは、弘法大師空海です。初めて見た日本人は
びっくりしたでしょうね。それまでは奈良の大仏さんに代表されるような
優しそうな顔をした仏像ばかりでしたから。

不動明王は、元々は他宗教の守り神でした。それを密教に取り込んで仏さまにしてしまったのです。
考えればすごいことですね。何でも飲み込んでしまう、懐の大きな宗教です。

不動明王をじっと見つめていると「ドキリ」とすることがあります。
それは、私の心に「邪」が潜んでいる時。邪心はすぐに見抜かれてしまいます。

弘法大師空海も、「仏の加持を受けるには、心は鏡のように静かであれ」と説きます。
鏡はきれいに磨かれてこそ、私たちの姿をそのまま映し出します。
ヒビが入っていれば、まともに移すことができません。

不動明王と対峙する時、自分の心が映し出されます。
また、来月も静かな心でいられますように。

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未熟ですが

焼き印護摩札


焼きコテを買って添え護摩札に焼き印を付けてみました。
これが意外と難しい。温度が低すぎると焼き印が付かないし、
温度が高すぎると焦げてしまいます。

いくつかの失敗作が上記の写真です。
日々って姉妹、焼き印がまだらになってしまいました。
こういう時に性格が出ますね。私は「ビビリ」です。

時には大胆に、時には繊細に。

弘法大師も大胆に出家し、繊細に修行を積みました。
大胆に中国へ渡り、繊細に密教を学びました。

いつ「大胆」になればいいのか、いつ「繊細」になればいいのか。
まだ私には分かりません。まだまだ修行が足りませぬ。

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