太釈さんの法話なブログ 法話
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太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

人生はマラソンのようなもの

人生はマラソンのようなもの

とくしまマラソンに出場したものの24.8Km地点でタイムアウトによりリタイヤになってしまった方の感想です。

とくしまマラソンの参加者はゼッケンにメッセージを書いて走りました。
「目指せ完走」や「お父さん、頑張って」も多かったのですが、震災に関するものも多かったようです。「がんばろう日本」「絆」「希望」などもありました。

リタイヤした彼も、このゼッケンを見てパワーをもらったと言います。「体がふっと軽くなる感じ」だったようです。

マラソン

マラソンは人生に似ています。生まれてくる時に子どもは母の産道の中で頭蓋骨が変形するほどの痛みを耐え、母とともに産みの苦しみを味わいます。

誕生とともに、それは喜びへと変わっていきます。生まれた子どもは父母の祝福を受け、愛を受けて育ちます。「三つ子の魂百まで」といわれるように、三歳までにその人の人格が形成されます。

子どもの人格は、友だちや親兄弟によって揉まれ、磨かれて成長していきます。小学校に入学すれば、知識の習得に励みます。

中学、高校と進学するにつれて自らの生きていく方向を見定めます。時には迷い、疲れて寄り道をすることもあります。寄り道もまた、成長の糧となります。世間の荒波を声、社会の中で強く生きていくことで、魂は磨かれ輝いていくのです。

魂が磨かれていく過程で弘法大師空海は、四つの恩を大切にしました。
生まれて自分で栄養を取ることもできない時から養育をしてくれた父・母の恩、政治のおかげで平和に暮らすことができる恩、友人・知人に助けられて毎日を生きている恩、仏教の教えに守られている恩の四つです。

人生はマラソンのようなものです。走り始めて息苦しさを越えると、呼吸が楽になりどこまでも走ることができるような気がします。しかし、のぼり坂になれば思うように足が前に進まなくなり、くだり坂では背中を押されるように足が軽くなります。途中で関門を通過できず、リタイヤしなくてはならない時もあります。

父母の恩、平和に暮らせる恩、友人・知人を含め見知らぬ人の恩、仏教の知恵で心豊かに暮らすことができる恩を感じて生きていきたいものです。

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賽銭を投げる意味とは?

Q.賽銭を投げる意味はなにですか。金額が多いほど御利益があるのですか?
賽銭箱2
A.お寺や神社で賽銭を投げることは日常的に行われていますね。お賽銭を投げるときは、仏さまや神さまに願いごとをすることが多いものです。でも、賽銭の本来の意味は願いごとをすることではありません。私たちは手にしたものは人に渡したくないという貪欲(むさぼりの心)から離れ、少しでもだれかの役に立ちますようにと喜んで欲を捨てるために賽銭を投げるのです。金額の多少ではなく御利益を求めず喜んで欲を捨てましょう。

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法事でしてほしいこと

今日の法事は25回忌、33回忌、61回忌をお務めさせてもらいました。

私は「いのちの積み木ファシリテーター」になって、法事の法話でこんな話をするようにしています。
いのちの積み木
法事のときに私は2つのことをお願いしています。
1つは、今日法事をなさった方は皆さんから見てどのような関係なのか家系図を書いてみてくださいということです。
2つめは、故人の生前を知る人に「どんな人だったの?」と人となりを聞いてみてください。

なぜ、こんなお願いをするのかというと、いのちの積み木というワークショップがきっかけです。

ワークショップでは、ご先祖さまのことを考えました。そして、今分かる範囲で家系図をかいてみました。父方・母方のお祖父ちゃんお祖母ちゃんぐらいまでは書ける方も多かったのですが、曾祖父母になるとほとんど名前も分かりません。

そこで電話を使って誰でもいいからご先祖さまの名前を聞いてみましょうということになりました。すると、ある参加者の方がポツリと「聞く人がいない」と言いました。

祖父母が亡くなり、父母が亡くなると、それ以前のご先祖さまを知る人はいなくなってしまうのです。
故人を知る人が居るうちに生前の姿を語り継いでいきましょう。法事は故人を語るちょうどよい機会だと思います。

法事に参列していた方が、「今まで供養ができず親不孝でしたが、今日やっと供養することができほっとしています」と言っておられました。ずっと供養ができていないことが気かがりだったのでしょうね。供養することで安心してもらうことができ、うれしいです。

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メンター

メンター

 

 「メンター」という言葉をご存じでしょうか。

 ベストセラーになった書籍『ユダヤ人大富豪の教え』の著書、本田健さんが著書の中で使っておられます。『ユダヤ人大富豪の教え』はユダヤ人大富豪のゲラーさんに弟子入りして、日本人青年が教えを請うストーリーです。著者自身の体験を物語にしたもので、本田健さんは当時無名であったにもかかわらず、この作品でベストセラー作家に仲間入りしました。

「メンター」は、日本語で言えば「師匠」にあたります。メンターは物事を教えてくれるだけでなく、人間的にも尊敬できる人を師匠として教えを吸収せよといわれます。「最近(良い方に)変わったな」という人は、必ずと言っていいほど師匠がいます。師匠から学ぶことで成長していくのでしょう。

翻って私には師匠がいるのかと考えてみました。すぐに即答できない自分が、少し腹立たしいです。でも、私が思い当たったのが弘法大師空海でした。私は、真言宗の僧侶として弘法大師空海の末弟として名を連ねています。弘法大師空海は、その名を知られるようになってから数々の雑音があったことでしょう。平安時代は、今よりも強固な貴族社会でした。弘法大師空海は最高位の嵯峨天皇と交友がありました。権力がらみで近づこうとした人は数知れずいたに違いありません。空海は「稀代の人たらし」だという人がいます。たしかにたった1年で20年分の留学費用を集めたり、日本初の私立学校を設立するために藤原氏から寄進を受けたりするなど、人たらしならではの功績があります。人たらしだった空海が政治力を持たず、京を離れて高野山に移ったのは、機を見るに敏だったのでしょう。そして、自らをわきまえていたのだと思います。

 

私も空海をメンターとして精進していきます。

 メンター

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139年ぶりの仏具修理

11月の大法会に向けて仏具の修理を依頼しました。
予算が限られているので、今回は弘法大師の仏像が納められている厨子(入れ物)を修理することにしました。
大師の厨子修理
私も知らなかったのですが、厨子の背面には、前回の修理で寄附してくださった方の施主名が書かれていました。100年以上前なので施主はすべての方が鬼籍に入られています。日付も「明治13年辰未9月21日 奉再建」とあり、少なくとも100年前には弘法大師像が觀音寺に奉納されており、今回の厨子修理は、139年ぶりとなります。
大師の厨子 奉納名

今回大師の厨子を修理するのはめったにない御縁です。
次回の修理はおそらく100年後でしょう。私のすでにこの世にいません。
一生に一度のチャンスに出会えたことに感謝です。

合掌


仏教の知恵で心豊かに過ごせますように
法話と天井絵の寺 觀音寺

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