太釈さんの法話なブログ みつめる その3

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

みつめる その3

はるかちゃんの死を受け入れられず、姉はすっかり生きる意味を見失ってしまいました。
自分の部屋から出ることも少なくなりました。「ひきこもり」です。

ふとしたきっかけで「震災1.17希望の灯り」の活動に参加しました。
「どうせ、過去の傷のなめ合いなんでしょ」
と、斜めに構えて参加しました。

ところが、想像していた活動とは全く違うものでした。
元気づけよう、とか、がんばらなくては、という話は一切ありませんでした。
メンバーの一人が言った「泣いていいんだよ」という言葉に、ずっと閉じ込めていた何かが溢れ出しました。

その後、メンバーの一人として自身の体験を語る「語り部」として活動を始めました。
自分の妹、はるかが亡くなった場所に生えたひまわりの種を配る活動を続けました。

「おやすみを言ったら、必ず『おはよう』が言えるとは限らない。行って来ますを言ったら、『ただいま』と帰ってくることができないかもしれない。だから、ケンカしたら必ずごめんねが言えるようにしておきたい」

自分と相手の命を見つめて生きていきたいと伝えています。

月の光は水面にそのままの姿を映します。
私たちの心はどうでしょうか。そのままの姿を映しているでしょうか。
私情が邪魔をして水面を波立たせ、満月の美しい姿がぼやけていませんか。

はるかちゃんは突然の震災で亡くなってしまいました。「おやすみ」の次に、当然のように朝が来て「おはよう」と言えるはずでした。しかし、そうはならなかった。
心が曇ってしまい、はるかちゃんが見つかっても「はるかじゃない」と心を閉ざしてしまいました。
ひまわりを見ても、はるかの生まれ変わりなんて思えませんでした。

「泣いていいんだよ」という一言で、心の曇りが一気に取れてしまうと、はるかが亡くなったことも受け入れられるようになりました。そして、震災体験を語り継ぎ、はるかのひまわりの種を配る運動にも参加することができるようになりました。

自分と相手の命を見つめ続けていくこと。
それが生きていくということなのです。

波のない水面のように、心穏やかにいたいものです。
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