太釈さんの法話なブログ 戦争を起こさない心 人の人たる道を歩く その2

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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

戦争を起こさない心 人の人たる道を歩く その2

終戦から69年が過ぎました。
終戦記念日は8月15日です。私たちにとっては、ご先祖さまが帰ってくるお盆であり、先祖供養をする日です。戦没者遺族の皆さまにとっては「戦没者供養の日」でもあります。

出自をたどれば、私も戦没者の遺族にあたります。
母方の大叔父が戦死しています。祖母は四人姉妹でした。5人目にやっと長男が誕生し、中村家の跡取りとして大事に育てられたようです。写真から推察すると、聡明で明るい性格であったようです。大学に進学し、勉学に励んでいたとき召集令状が届きました。出征し、昭和17年ルソン島で戦死しました。行年26歳でした。
もし、大叔父が生きていたとすれば、中村家の歴史も私の人生も全く違うものになっていたのかもしれません。

平成25年の戦没者慰霊祭ではシベリア抑留の話題を取り上げました。
徳島新聞(平成26年9月21日付)の第1面に「シベリア抑留死 県人395人」という記事が載りました。11都道府県で1000人を超すことが厚労省の調査で分かりました。ただし、身元が判明した者だけであり、実際にはもっとたくさんの方が亡くなったであろうと想像します。

長岸在住でシベリア抑留を体験し、無事に復員した方が「シベリア物語」という本を著しました。私も拝読して平成25年戦没者慰霊祭のテーマにしました。
御礼かたがたご本人に話を聞くことができました。著者は「本当の、本当のことは書けなかった」と言っていました。とても文章にして残すことのできない体験をされたのだと思いました。
シベリアでつらかったことは、仲間の弔いができなかったことでした。朝起きると隣で寝ていた人が亡くなっていることがよくありました。一週間すると遺体が10~15名ぐらいになるので裏山へ行って埋葬します。ところが、凍土でツルハシをふるっても歯が立ちません。仕方なく小枝や枯れ葉を燃やして土を温め、やっと掘った1メートルほどの深さに穴に遺体を埋めました。
それしかできなかったことが、今でも悔やまれるのです。

さて、出征したある寺の御住職の話です。

つづく
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