太釈さんの法話なブログ 3年後の予定を入れましょう

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

3年後の予定を入れましょう


気になっていた信者さんが来ていました。
私が時間ちょうどに到着すると、誰かが車の中でいます。時間が来ているのに、どうしたんだろう?と思っていると車の中で人影が動きました。私の車にロックをかけ、おもむろに足を向けました。目の端で車の中に居る人は知っている人かどうかを確認します。かすかに聞こえる、鼻をすするような声。
「どこかで聞いたことがある」
失礼にならない程度に視線を走らせると、私が気になっていた信者さんがそこに居ました。そして、他の信者さんに手を握ってもらいながら泣いていたのです。

「どうですか?」
我ながら職業病だなと思いました。まるで医師が診察を始める時に患者の症状を聞き出そうとする口調です。前職の薬剤師の顔がこういうときに顔を出します。信者さんは、それを知っていて私に相談を持ちかけるので、この方がいいのかもしれません。

私の姿を確認すると、今まで泣いていたことを隠すように気丈な表情をして今までの経緯を話してくれました。日付を追って話してくれるのですが、昨日のことも日付で言います。きっと、遠い過去のことなのでしょう。そう思いたいだけなのかもしれません。

ひとしきり話をするとちょっと楽になったようで、他の信者仲間と溶け合いひとつになりました。それぞれの人が、それぞれの事情を抱えているものです。決して口にはしないけれど、真剣に向き合おうとしています。

「二世の信心を決定し、自他の命を生かすべし」
三信条の一番最初にあります。弘法大師が私たちに説く、生き方の指針です。

二世は「現在」と「未来」です。
過去のことは問いません。今をどう生きるのか。未来はどう生きるのか。自らの命を大切にせよと弘法大師が説いています。

私は「あなたの病は必ず治りますよ」と言い切ることはできません。ただ、「今日、今この時に元気にお参りできて良かったですね」と伝えます。

今、現在のこと。これをもう一度確認したいのです。生きているありがたさ。お参りに来ることができるありがたさ。これを感じ取ってほしいのです。

そして、未来に生きたい。
カウントダウンで生きていけないものです。あと3日しかない時、その3日間を存分に生きられるでしょうか。その重さに絶えきれず、命を無駄にしてしまうのではないでしょうか。

「また、来月もお参りに来ることができる」
「来年もこの場所に来ることができる」
「三年後に、高野山で御詠歌を唱えることができる」

そう思って今を過ごしたいものです。
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