太釈さんの法話なブログ 自己チューが変わるとき その2

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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

自己チューが変わるとき その2

前回のあらすじ

夏休みになるとお寺でこぼんさん教室が開かれます。子どもたちがお寺に集まり、学童保育のように過ごします。
子どもたちは、まず掃除をします。お寺の本堂は広いので、ウロウロするばかりです。
高学年の子どもたちは、ハタキやほうきを持って掃除をしたふりをします。



薬師堂大掃除


夏を終えて、秋から冬になると子どもたちは広すぎる本堂で右往左往している内に、掃除の要領を身につけます。


高学年の子どもたちは、我先にハタキや小さい箒(ほうき)を手に取ります。ハタキや小さなほうきなら、寒さで手が凍えても袖を引いて手袋代わりにできますし、掃除する範囲も少なくて済みます。片手はポケットに入れたままです。掃除をしたような振りをしていてもばれません。


一方で、要領が悪い低学年の子どもたちは、冷たい水でぞうきんがけです。時には小さな手がしもやけになりそうになりながら、板間の床をぞうきんがけします。


こどもたちの様子が変わるのは、特に冬です。


高学年の子どもたちが率先して冷たい水に手を入れて、しもやけになりそうになりながらぞうきんがけをし始めるのです。要領のいい子どもたちがなぜ?


それは、子どもたちの心の中で、ある「気づき」があるのです。


高学年の子どもたちは、ふと考え始めます。

「自分たちが、簡単なハタキやほうきを持っているとき、ぞうきんがけをしているのは誰だろう」


周りに目をやると低学年の子どもたちが手を真っ赤にしながら、冷たい水を汲みに行き、ぞうきんを絞っています。

「もしかすると、冷たくてやりたくないことは『自分以外の誰か』がしてくれているのではないだろうか」

と、いうことに気がつくのです。


子どもたちは、自分の心に溜まっていたホコリ、つまり、「イヤなことは誰かにやらせておけばいいや」という自分勝手な欲にまみれていたことに気が付くのです。子どもたちは掃除を通じて自分たちがにぎっているハタキでは落とすことのできないホコリを落としていくのです。


そうして、高学年の子どもたちが、誰が言うともなくぞうきんを手にし始めるのです。

続く

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