太釈さんの法話なブログ 自己チューが変わるとき まとめ

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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

自己チューが変わるとき まとめ

前回までのあらすじ

お寺の本堂で掃除するとき、要領よくハタキや小さなほうきを我先にとって掃除をしているふりをする子どもが、ある時ふと気がつきます。

また、西国観音霊場をサイクリングでまわったボーイスカウトたちは、いろいろなことに気がつきます。


これまで、「寺子屋での子どもたちの掃除」「西国三十三観音霊場サイクリング巡礼」の話を紹介しました。


掃除は嫌なものだからと逃げていると、嫌なことを引き受けている人がいることに気がつきます。

西国観音霊場をサイクリングしてみないと、子どもたちを送り出した親の気持ちが分かりません。


どちらも子どもたちにとって「やってみないと分からない」ことです。

寺小屋で「掃除をしなさい」と言われたら、冷たい水を使うぞうきんに手を伸ばす子どもはごく少数です。誰でも楽をしたいものです。イヤな時間はやり過ごせばいい。小学生になれば、それぐらいの知恵は身に付いています。しかし、子どもたちが自分の心は嫌な時間をやり過ごせばいいという欲のホコリにまみれているかどうかまでは分からないものです。


西国三十三観音霊場に限らず、巡礼の旅は思った以上に困難な旅です。楽しいサイクリング気分で行けるものではありません。ボーイスカウトの子どもたちは、西国観音霊場を巡礼し、宿泊はテントで食事は自炊だけでの生活です。親にとって、テント泊と自炊だけの大変さは想像がついても、子どもたちにはやってみないと分からないものです。


弘法大師 

お大師さまの言葉に
「どんなにすぐれた薬が箱に一杯にあっても、服用しないと効果はない。どんなにきれいな服がタンスに入っていても、着ることがなくては寒いままである」

と、あります。


知っているだけでは何の役にも立ちません。相手のことを思いやり、相手の心を感じて、声をかけ、行動することによって身に付いていくものなのです。相手を思いやる次の一歩を、勇気を持って踏み出していきたいものです。

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