太釈さんの法話なブログ 認知症 戸惑いと葛藤の9年間
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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

認知症 戸惑いと葛藤の9年間

毎週火曜日はミニ法話を更新予定です。


認知症 戸惑いと葛藤の9年間

~徳島新聞第一面の記事より~

終わりのない夫の介護に疲れ果て、何度も投げ出しそうになるものです。
78歳で夫がアルツハイマー病と診断され、暮らしが一変しました。晩年は寝たきりとなり、妻の顔さえ分からなくなりました。しかし、どんなに病状が進んでも最後まで優しい夫のままでした。

一人の介護があれほどしんどいと思っていました。しかし、夫が亡くなった後は夫と過ごした時間がいとおしく思い出がよみがえってきます。

以上、記事より


生前に故人と積み重ねた思い出は、走馬燈のようによみがえることがあります。夫の誕生日や結婚記念日など、夫を思い出してつらくなることもあるでしょう。

遺影 

でも、積み重ねた思い出は故人の供養となります。写真のアルバムのように、いつまでも大切にしたいものです。

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コメント


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一善住職さまm(__)m
私も、同じような体験をしています。
父が倒れ、入院中より、言動がおかしく、
一人にさすことができませんでした。私の担当の先生が、自分が入院中、自宅に帰れなかったとき、母に変わりに帰ってもらいその間、父の付き添いをしていましたが、叔母からは、なんで付き添いに行くのと、けげんそうに言われたことを、思い出します。父を一人に出来ないと、何度説明しても理解してもらえず、父の状態を説明させてもらっても、叔父が快復したように、父もそうさせろと、言われても、同じ心臓病でも、父は心不全で、安静を指示され、叔父は徐脈によるペースメーカーの埋め込み手術をうけましたが、心不全もわかってもらえず浮腫がひどかったと言ってもわかってもらえず、叔母と従姉妹の名前がわからなくなっていたのに、それさえ理解してもらえないつらさを、体験しました。
父の症状は、内科治療は終わっても、その頃は、気づきもしなかった認知症、退院してから精神科で検査して確定になりましたが、4年の間、自宅介護とショートスティを利用しながらでしたが、終末期には、寝たきりとなり、毛布に乗せて母と二人で玄関へ、寝たきりの状態から車椅子への移動、起こすとき、父が痛いと蹴飛ばされ、私はよく吹っ飛んでいました。最後には、会話も出来ない状態でしたが、介護、医療とお世話になりながらの父でしたが、わからなくなっていく、寂しさ、悲しさ、まわりの心ない言葉に、自分を壊し続けていました。父の暴れる姿を見せたくなかったけれど、そう判断したのは私だけど、わからない人には、見てもらうというのも、大事なんだと、最近思えるようになりましたが、当時は、そんな判断できる状態ではありませんでした。テレビ、新聞などで、見たり、聞いたりするのと、実際に体験、当事者になるのとでは、大きな違いです。
なので、私は、叔父叔母のようにならないよう、自分に言い聞かせています。つらいこと、たいへんなこと、貴重な体験をさせて頂いたと思うようになりましたが、イヤな顔もチラチラ出てくるのも現実です。ただ、自分のイヤな想いをまわりにはさせたくないと、自分に言い聞かせています。
認知症、されど認知症です。
一人、一人違うように、病気や症状も違うということを、常に意識して、人とお話しさせていただいています。
これからも、一生勉強だと思っています。
一善住職さまのように、人を想い、支えれる生き方をしていきたいです。これからも、ご指導、ご支援のほどよろしくお願いいたします。合掌

米津泰惠 | URL | 2018-04-25(Wed)19:57 [編集]