太釈さんの法話なブログ 光る仏さま その2

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

光る仏さま その2

読経も終わり、「長座、ありがとうございました」と若い住職の挨拶が終わりました。
躊躇しながらも「ひとつ質問があるのですが」と切り出しました。

若い住職は、まっすぐに見つめながら微笑みをたたえて「どうぞ。」と言ってくれました。

娘は、父を7年介護したこと、父は足が悪かったこと、亡くした後の心配事を手短に話しました。
若い住職は「うんうん、そうでしたか。」と相づちを打ちました。

ちょっと思案顔をした後、おもむろに話し始めました。
「私たちが『亡くなる』ということは、肉体から離れることです。肉体があればこそ、痛い・苦しい・つらいなどを感じることができるのです。これも生きていく上での苦しみのひとつに数えられています。」
般若心経の「五縕(ごうん)」だと教えてくれました。

「では肉体から離れたら、どうなるでしょう。簡単に言うと『魂(たましい)』だけになります。痛みも苦しみも、肉体もありません。全部この世に置いていきます。家族も、家も、お金も、全部です。何も持って行けません。」
身ひとつで生まれてきた時と同じなのだと、教えてくださいました。

「でも、『魂』になっても持って行けるものがひとつだけあります。それは『想い』なのです。生前に家族と過ごした想い、友人と過ごした想い、それだけを持って旅立っていくのです。」
『想いだけ』という若い住職の言葉が頭の中をグルグルの回っていました。

「ですから、生前の肉体は置いていきます。足が悪くても、体は置いていくので、死出の旅は心配ありませんよ。」
若い住職の「心配ありませんよ」という言葉が、妙に温かく娘を包みました。「聞いて、よかった。」

想いだけとなった「魂(たましい)」は、見えるといいます。どう見えるのでしょう。

つづく
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する