太釈さんの法話なブログ 戦没者慰霊祭2013 恕すこと その3

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高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

戦没者慰霊祭2013 恕すこと その3

著者が将来の進路を決めなくてはいけない時期になった時のことです。

見事な情景描写をサラサラと書き上げるほどの筆力を持ち、同人誌を発行するほどだったので、大学に進学し文学を学びたいと考えました。ところが、時代は戦争に向かって突き進んでいた時期です。大学も戦争に必要な戦闘機や戦艦を作るために必要な知識を教える理工学系のみになっており、商業系や文化系は廃止されてしまいました。

仕方なく徴用の来ない軍需系を探しました。著者は、その中から海軍航空隊高工専科へ入隊することになりました。最終的に、現在でも自衛隊のある松茂に配属されます。毎日のように戦闘機の機体修理に明け暮れました。

折しも戦況が悪化している時期です。毎日、戦闘機が何十機とやってきて修理を任されます。機体は穴だらけで使い物にならないほど損傷しています。10人ぐらいの工員が翼を付け替えたり、折れた車輪を交換したりしました。納期を急ぐことが多く、連日徹夜に近い状態でした。著者も倒れる寸前でした。

やっと修理する機体もなくなり一息着けるようになったある日、一機の戦闘機が着陸しました。故障の具合を見ると修理に丸一日はかかりそうでした。
「明日にしようか」と帰りかかったとき、衛門の前で工場長とパイロットらしき人が話をしていました。
「自分未だ未熟であります。したがって台湾までの単独飛行は無理であります。明日の朝までに修理をしていただければ九州の飛行場で本隊に合流できます。ぜひ修理をお願いします。」
その若いパイロットは今にも泣き出しそうな顔で言いました。その時期は小型機の飛行は大型機が誘導していたのです。

「そういうことなら仕方ない」と、再び格納庫へ引き返し修理にかかりました。
パイロットは心配そうにウロウロしています。「休んでいてください」という声かけにも「自分は大丈夫であります」という返事が返ってきました。すると、「これ如何ですか」と、ポケットから貴重品だったチョコレートやウイスキーの小瓶をそっと取りだしました。

わずか一夜ですっかり親友になったパイロットは、修理を終えた戦闘機に颯爽と乗り込みました。
「頑張れよ」
著者は心の中で叫びました。そして、涙で次第に機影が見えなくなるまでその場に立ち尽くしたのでした。


つづく
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