太釈さんの法話なブログ 法話

太釈さんの法話なブログ

高野山の布教師 太釈さんがミニ法話を綴ります

心書を体験してみました

心書を体験してきました

自分オリジナルの字を持ちたい!と思い、心書体験講座を受講してみました。

漢字やひらがなを崩して、楽しく自由な発想で字を書くものと思っていましたが、そうではありませんでした。

心に誰か1人を思い、出会ったときのこと、どんな思い出があったか、どんな言葉をかけてあげたいか、などを心にグッと込めて筆を落として書く。

これが心書です。

私が心書を習うビフォーアフターと講師のやまっち(山田真弓さん)からの初受講プレゼントやパフォーマンスで書いてくれた心書などをご覧ください。


心書をならう前 

心書をならう前に、とりあえず私が書いてみました。私の本にサインするとき「心を込める」と書いています。


心書の練習1 心書の練習2

筆ペンを使って、心書独特の線を練習しました。太い線やなみなみ線、大きな丸い点など。


心書で漢字を書いてみる 

漢字を自由に崩して、気持ちが入った字にしてみます。春はニコニコ、空はスカイ、線の方向を変えて寿の字を崩してみる、太い線と細い線を混ぜてみる、など。

心書に色をつける 

色もつけてみました。


心書でサインを作ってみる 心書をならった後 

「心を込める」を心書で書いてみました。デザインみたいに字を崩して太い線や細い線、点を混ぜて書いてみました。心書をならった後の字です。


亮善に心を込めて心書を書く 

最後に、誰か1人を思って心書を書いてみました。私は長男を思い浮かべ筆を落としました。
長男を想い、交わした言葉や、長男にかけてあげたい言葉などを思い浮かべていると涙が出てしまいました。「ようがんばったな」と心の中で長男に声をかけると、私はあふれる涙を堪えることができませんでした。

心書で書いた言葉は「ありがとう」でした。妻には「心がこもっていていい字やな」と言ってもらいました。


私は今回初めての受講だったので、講師のやまっち(山田真弓さん)からプレゼントをもらいました。

心書体験 プレゼント 

プロが心書を書くと、こうなるのね。

講師のやまっちにライブで心書を書いてもらったのがこちら

講師やまっちのパフォーマンス 


心書に興味のある方はこちらまで。徳島で体験できます。
11月や12月は心書で年賀状を書く講座になるかも。

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新刊『人を想うこころ』先読み 引導を渡す、とは?

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊予定です。

発刊に先立って本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


引導を渡す、とは?

 お葬式(そうしき)でお坊さんが行っていることは、故人を剃髪(ていはつ)させ、故人に戒律(かいりつ)を守ることを誓わせ、出家(しゅっけ)・得度(とくど)させてお坊さんとなる儀式をしているのです。

 故人は、お坊さんとなった証(あかし)として戒名(かいみょう)を授けます。さらに真言宗の場合は秘密の印(いん)と真言(しんごん)を授けます。

 空海(くうかい)の弟子(でし)として故人を死出(しいで)の旅に発たせます。

 お坊さんが、故人の旅立ちを手伝うことを「引導(いんどう)を渡す」と言います。つまり、お坊さんは、故人の安らかな旅立ちのお手伝いをしているのです。

觀善上人葬儀 

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新刊『人を想うこころ』先読み 故人に対して最後にできること

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊予定です。

発刊に先立って本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


故人に対して最後にできること

故人に末期の水(まつごのみず)を飲ませることは、遺族や親戚、親しい友人・知人が故人に対して最後にできることです。

お通夜(つや)に参列したご遺族や親戚、親しい友人・知人は、もう返事をすることも、怒ることも、悲しむこともなくなった故人に対して最後の言葉をかけて偲(しの)びます。

「よくがんばったね」
「先に逝(い)ってしまったんだね」
「いいところへ行くんだよ」

私は、遺族や親戚、親しい友人が末期の水(まつごのみず)を取る間、故人を偲(しの)ぶため追弔和讃(ついちょうわさん)(故人を偲(しの)んでお唱えする御詠歌(ごえいか)のこと)を唱えます。

追弔和讃 ブログ用 

私は追弔和讃(ついちょうわさん)を唱えながら、お通夜(つや)に参列したご遺族や親戚、親しい友人・知人が故人にかけるあたたかい言葉に涙を堪(こら)えることがよくあります。

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なぜ、末期の水は三度なのですか

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊予定です。

発刊に先立って本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


なぜ、末期の水は三度なのでしょうか

 末期の水は、故人が死出(しいで)の旅に発つにあたり、喉の渇きを癒やすために行います。故人の喉の渇きは、死出の旅に発つにあたり、唯一困ることであるといわれています。

 故人の喉の渇きを癒やすためなら、もっとたくさん水を飲ませてあげたい気もします。しかし、末期の水を三度運ぶのは、お釈迦さまが亡くなるときの故事に倣(なら)っているのです。

 お釈迦さまはインド各地で説法をしながら旅を続けていました。しかし、お釈迦さまは旅の途中で食中毒になり、脱水症状から歩くことができなくなってしまいました。

 仕方なく、お釈迦さまはクシナガラにある沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で休んでいました。お釈迦さまは自身の最後のときが近づいたと感じ、近くにいたお弟子さまに声をかけました。

「近くの川で水を汲(く)んできてくれないか」

お弟子さんは、慌ててお釈迦さまに飲んでもらう水を汲(く)むため、近くの川へ行きました。しかし、川の水はドロドロで、とてもお釈迦さまに飲んでもらうことができるような水ではありませんでした。

 お弟子さんは、お釈迦さまへ川の水は飲める水ではないことを伝えました。でも、お釈迦さまは三度、川の水を所望(しょもう)されました。

 仕方なくお弟子さんが川へ行ってみると、不思議なことに川の水がきれいに澄んでいました。このためお弟子さんは、水を汲(く)んでお釈迦さまに水を飲んでもらうことができたのです。

 この故事(こじ)から、末期(まつご)の水はお釈迦さまが水を三度所望(しょもう)したことに倣(なら)い、故人の口元に三度、水を運ぶのです。

末期の水 

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末期の水はなぜ取るのですか

新刊『人を想うこころ』~人生で大切な恩と供養の話~ が平成29年10月1日に発刊予定です。

発刊に先立って本書の一部を先読みしてもらえるようブログで公開いたします。
なぜ、供養をしなくてはいけないのか。
なぜ、恩が大切なのか。
本書で気づいてもらえるとうれしいです。


末期の水はなぜ取るのですか

故人の葬儀前日に通夜を勤めます。

通夜では故人に対して末期の水を取ります。なぜ、末期の水を取るのでしょうか。

故人を仏式のお葬式で送り出すということは、故人はお坊さんの弟子となって旅立っていくことを意味します。通夜は、故人がお坊さんの弟子となって旅立つにあたり、お坊さんが故人に心構えを言って聞かす儀式です。

ただ、故人が死出(しいで)の旅に発つにあたり、ひとつだけ困ることがあると言われています。それは、故人はのどが渇いて困るのです。

故人がのどの渇きで困らないように、ご遺族や近い親戚がシキミの葉で故人の口元へ三度、水を運ぶことを末期(まつご)の水(みず)と言います。


シキミの葉を使うのは2つの理由があります。

1.蓮の花の代用として
蓮の花は日本では8月の一時期しか採ることができません。そこで年中手に入るシキミの葉を代用します。シキミの葉を、根元を少し折り取ると蓮の花の形に似ているからです。

2.きれいな葉だから
シキミの葉は虫が付きません。このためきれいな葉であると言うことができます。

シキミ

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